格差社会が無くなることを夢見るより、ある前提での対応が必要か

私はアメリカ型の考え方が好きではあります。
この格差問題を考えたときも同様。

全ての人がどんなことでも平等であるべきと考えるのは理想論としてあってもいいとは思うけれども、人ひとりひとり違うと思えば、同じになりえることはありえない。

格差が生じることは必然であるということを前提に、格差の果てに大金持ちになった人達が、その多くの資産を貧困層に寄付とか貧困から離脱できるようなサービスなどに資金を出すということこそ、現実的ではないかと思うところもある。

貧困には、絶対的貧困と相対的貧困がある。
絶対的貧困は、先進国で見れれなくなってきている現象で、かつ、もしそのような状況になるなら多くの先進国ではセーフティーネットより救えるような仕組みを設けている。それらセーフティーネットから漏れ、餓死してしまうというような悲惨な話がたまにニュースで出てくるが、これらは例外と思いたい。

相対的貧困は、以下のように定義されている。
●コトバンクより
「相対的貧困率」
その他大勢の中で貧乏な人達と解釈してもいいと思う。

相対的貧困なんてものは、言葉遊びでしかないと先日記事を書いた。
相対的貧困で四苦八苦している人が、どのような収入で、どのような支出をしているのかがわからない。
手取り20万円程度あって、独り身ならそれが相対的貧困だろうが、多くの貯金ができるはず。
それができないと言うのなら、家計簿でも提示してみるといい。いろんな人がいろんな切り口で節約方法を教えてくれるだろう。


家計をよい方向に、収入と支出のバランスをよくし、生活レベルを収入相応に。
そして、貯めれる家計を心掛けてるよう、アドバイスをする。
そんなことを支援できればいいと思う。

以前、NHKによるなんちゃって貧困高校生の話は多くの話題となった。
そこでは、あまり知られていなかった相対的貧困に対する問題提起が行われたのだろうと解釈している。

ただね、上記でもいうよう相対的貧困なんて言葉遊びでしかない。

格差はなくならない。
昔から、そしてこれからも。
だから、格差がある前提で、事は考えたいと思うところ。

格差が生じる社会がいいとは思えない。
だけれども、悪しき平等主義が蔓延し、何をやっても変わらない格差無き社会がよいのか?

格差が駄目というのなら、どのような対応がとれるのか、また底辺にいるのを良しとしないのならそこから脱却できるようなことを考えたいところ。

今は、ネットを通じて多くの情報発信ができる。
そこに自身の貧困たる状況にして、収入と支出を明確に提示した上で、世の人に問いかけてみるとよい。
幸いなことに、実名なんて不要だ。匿名のネット世界をして、いろんなアドバイスを受け、そして改善していくようなことができるといいなと思うところ。

※衣食住、すべてを含み、また都内に住もうが、10万円以内の生活ができると思っている自分からするなら、どこをどのような支出をすれば、貯蓄0にしかなり得ないと言い切れるかが不思議でたまらない。できないものはできないんだよ!と言うのなら、そこで終わりじゃないんですかね??


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